こんにちは、akaruです。
その厚さから「鈍器本」や「レンガ本」などの異名を持つ「百鬼夜行」シリーズ。
昨年2023年9月には17年ぶりの最新作となる『鵼の碑』が発売されました。
本記事では、シリーズ第1作である『姑獲鳥の夏』のあらすじと感想をご紹介します。
コミカライズもされています。
- 厚めの本が好き
- 蘊蓄が好き
- ちょっと不気味な話が好き
- シリーズものが好き
『姑獲鳥の夏』作品概要
『姑獲鳥の夏』作中の時期
昭和27年(1952年)7月
『姑獲鳥の夏』あらすじ
小説家の関口巽は、雑司ヶ谷にある久遠寺医院にまつわる奇怪な噂を耳にする。
それは、妊婦が二十箇月もの間身籠っており、なおかつその亭主は密室から煙のように消えてしまったというものだった。
関口は博識な友人に解説してもらおうと京極堂(中禅寺秋彦)のもとを訪れるが、消えた亭主というのが学生時代の先輩だと判明したことから事件に関わっていくことになる。
古本屋店主兼陰陽師である京極堂が憑き物落としで事件を解き明かすシリーズ第1弾。
『姑獲鳥の夏』感想
仮想現実
蘊蓄パートはボリュームが大きいので、残念ながら挫折してしまう方もいるかもしれません。
しかし、後になるにつれて物語を理解するカギとなっていることがわかります。
『姑獲鳥の夏』のポイントとなるのは、「現実と仮想現実の区別は本人には絶対につけられない」こと。
京極堂は脳を税関に例え、検閲に通ったものだけが意識の舞台に上がることができると説明しています。
ものすごく簡単に言ってしまうと「人は見たいものしか見ない」なのですが、簡単に言えば良いというものではないと思います。
関口くんとともに京極堂の話術にはまることで、自分が認識している世界に対する不確かさのようなものが体験できるのではないでしょうか。
個人的には脳と認知のお話は、素直に大変楽しく読みました。
自分が生まれたのはついさっきで、記憶も思い出も作られたものだ…なんて妄想は、誰でも小学生くらいの時に考えた覚えはありますよね(あります…よね?)
姑獲鳥
産の上にて身まかりたりし女、其の執心、此のものとなれり。其のかたち、腰より下は血にそみて、其の声、をばれう、をばれうと鳴くと申しならはせり。
『百物語評判』
しかし、イメージとは裏腹に妖怪は出て来ません。
その妖怪に関連したり想起させる事件が作中で起きます。
ウブメは赤ん坊に関係のある妖怪です。
本作では、関口くんが二十箇月もの間身籠っている妊婦について京極堂に話すところから始まります。
噂の出所は、産婦人科である久遠寺医院です。
その久遠寺医院では、一年半前に赤児失踪事件の騒ぎがありました。
また久遠寺の出身地では、久遠寺家は水子の霊を使役する憑き物筋だと言われていたのがわかります。
さらに「蛙の顔をした赤ん坊」という気になる言葉も出てきます。
姑獲鳥という妖怪が実際に出てくるわけではないのですが、影のようにずっとついてくるような、そんな緊張感を覚えます。
憑き物落とし
ミステリーに分類されますが、本格推理小説のようなものとは異なっています。
しかし、京極堂の語りで種明かしがされていく様はまさにカタルシスです。
『姑獲鳥の夏』を読んで、かの有名なシャーロック・ホームズのセリフが強く思い出されました。
…まったくありえないことをすべて取り除いてしまえば、残ったものがいかにありそうにないことでも、真実に違いないということです。
『シャーロック・ホームズの冒険』コナン・ドイル
既に書いた通り、本作の一番のポイントは仮想現実です。
また、榎木津礼二郎という現実離れした能力を持つ登場人物を投入することで生まれる先入観も利用しています。
トリックとして成り立つのか?再現性はあるのか?という点では「否」となるかもしれません。
好き嫌いというか、許容できるかどうか分かれる作品でしょう。
私は初めて読んだ時、大きな衝撃を受けました。
また、蘊蓄効果もあり「そういうこともあるかもしれない」と思ってしまいます。
結末は、すっきりしたものとは言い難いです。
しかし、やるせなさやほろ苦さも含めて余韻となっています。
『姑獲鳥の夏』の次の作品
『姑獲鳥の夏』の次の作品は『魍魎の匣』です。
『魍魎の匣』のあらすじと感想はこちらです。